top of page

© 2025 Ikuko Tsurumaki

e26fd196-0e32-407c-b777-567cc22696e7.jpg
21750d7c-c585-4a88-aef0-ff98b6dab8df.jpg

          

Past Exhibition

新山清 写真

『 Model Shooting 』
2025年1月14日(火) ~ 2025年1月26日(日) ※12:00-18:00(日曜17:00迄) 月曜休廊 

​​​​​

日本の写真はアマチュア写真愛好家によって発展し支えられてきた独特の文化があります。現在でも盛んなモデル撮影会は明治時代から歴史があります。昭和に入ってから写真部を設立する企業が増え、大変熱心に活動していたそうです。新山清はいくつもの企業の写真部に講師として招かれ、週末になるとモデル撮影会で指導を行いました。さまざまなモデルが写る古いプリントをみると、指導する合間に新山本人も撮影に精を出していたことが想像できます。本展では新山が残したモデルが写る昭和30〜40年代のヴィンテージコンタクトシートを展示いたします。コンタクトシートを通して、ポージングや表情、構図の取り方、リズム感など作家の思考と視点、日本特有のモデル撮影会の歴史を垣間見れる興味深い内容となっています。

新山清 にいやまきよし

1911年愛媛県生まれ。主観主義写真作品を数多く残し、アマチュアリズムを貫いた写真家。理化学研究所勤務、ペンタックスサービスセンター所長を経て、アマチュア写真家の指導に尽力していた1969年凶刀に倒れ58歳という若さで早世した。没後は長男・洋一氏によって国内外での写真展を数多く開催している。ドイツ・ベルリンのキッケンギャラリーの契約作家でもあり、近年アメリカのゲッティミュージアムに作品が収蔵されるなど海外での評価も高い。

© 2025 Kiyoshi Niiyama

© 2024 Tetsuji Yamaguchi

Past Exhibition

山口哲嗣 写真展

『 軽やかなフィクション 』
2025年2月11日(火) ~ 2025年2月16日(日) ※12:00-18:00(日曜17:00迄) 

​​​​​

長女の誕生をきっかけにカメラを手にした。今年、娘は15歳、息子は12歳になる。ずっと2人の成長を記録している。

卒業式などの特別な瞬間はもちろん、自宅での何気ない時間や公園で楽しそうに遊ぶ姿もさまざまな場面でカメラを通して見守っている。そんな中、突然無表情になったり、急に大人のような話し方をしたり、予想もつかない奇妙な行動をする子どもたちがまるで別の生き物のように見えることがある。子どもの表情や仕草から感じ始めた微妙な違和感は、いつの間にか日常の風景にも広がっていった。

 

そしてその違和感からある考えを抱くようになった。もしかしたら、この日常は効果的に作られたプログラムの一部なのかもしれない。今、ここで笑っている子どもたちも、親である自分や家族に合わせるためのキャラクターなのかもしれない。全てはプログラムに従って、ストーリーを進めるための演出なのだろう。

写真を見返すと、そのキャラクターたちはいろんな経験を重ねて確実に成長している。それが私の生きるモチベーションとなり、単調な日々にたくさんの彩りを与えてくれる。振り返ってみると、自分自身もまた何かにプログラムされた日常を送ってきたことに気づきながら、このキャラクターたちの存在によって自分は人間らしくなってきたのだと実感している。

たとえこの世界が偽物だったとしても、私はこの素敵なプログラムを最大限に楽しむしかない。

山口哲嗣 やまぐちてつじ

1979年生まれ。大阪府在住。プラスチック成形工場にて品質管理業務を経て、Webデザイナーに転職。そこでデザインの勉強の一環としてカメラを手にする。同時期に長女が産まれ家族を撮り始める。現在は金融機関に勤める傍ら、家族をテーマにした作品を発表。株式会社シグマのキーオピニオンリーダーとしても活動しており、2024年シグマカレンダーに作品が採用されている。
 

受賞歴 IMA next #22,#24ショートリスト
    APAアワード2022,2023,2025 入選

個展  2022.10 “機微の日々” Roonee 247 fine arts gallery, 東京
    2023.04 “機微の日々” かまどの下の灰までgallery, 和歌山
    2023.06 “まだ春とは呼べない季節” PHOTO GARDEN, 奈良
​​​​​​

繝。繧、繝ウ繝偵y繧キ繧吶Η繧「繝ォ逕サ蜒.jpg

© 2025 Wataru Nihei

Past Exhibition

⼆瓶 航 写真展

⽬に⾒えない光景 
2025年2月18日(火) ~ 2025年2月23日(日) ※12:00-18:00(日曜17:00迄) 

​​​​​

2020年、不安と静寂に包まれた⽇々の中、初めてシャッターを切ったあの瞬間、世界は私の視線に応えるかのようにその姿を変えた。
淡く輝く光や、路傍に咲く花、⾵に揺れる影。普段なら⽬をとどめることの無い光景が、次々と私を引き込んで⾏った。
そうして夢中でシャッターを切る中で、ふと気づいた。
写真に写る光景は、⽬で⾒ていたものと同じように⾒えて、どこか違う。
レンズ越しに現実は翻訳され、光の滲みやボケ、⾊の調整を通じて、⽬に⾒えるものとは異なる新しい世界が⽣まれる。その光景は、撮影の瞬間から時間という距離をまとい、遠くの星の光が遅れて届くように、再び現れる。
写真は現実と絡み合い、⽷を撚るように新しい光景を作り出す。
そこに感情は写らない。ただ、ぼやけた記憶のような曖昧さと、いつまでも掴みきれない不確かな分からなさが残る。
むしろ私はそこに惹かれる。
写真は私から、遥かに遠い。


二瓶航 にへいわたる

2002年福島県⽣まれ。埼⽟県在住。⽴教⼤学⽂学科フランス⽂学専修に在籍。主にロラン・バルトや、サルトルを学ぶ。

© 2025 Atom Ginjo 

Past Exhibition

銀城アトム 写真展

 遠行希 
2025年3月4日(火) ~ 2025年3月16日(日) ※12:00-18:00(日曜17:00迄) 月曜休廊 

​​​その当時、暇があるとよく旅行をしていた。何故旅行するのか?様々な理由はあったが、考える気になれなかった。何だか難しい問題が沢山身の上に降りかかっているようで、まともに考えるには恐ろしい気がしたからだ。
 

旅行しながら写真を撮り歩いた。車窓から、迷いながら歩く街で、人込みの中で、出鱈目にシャッターを切った。シャルルヴィルーメジエールを旅行した時、ランボー博物館へ行った。小さな館内を見た後、受付でランボーの詩集を数冊買った。
 

ランボーの生まれ育った家を外から見て、彼の通ったという学校、そして彼の眠っている墓地へと行った。シャルルヴィルーメジエールへ来た目的は、それで全部終わってしまった。丁度お昼時で、ワインを飲みながら昼食を取った。無目的に街をさ迷い歩き、ムーズ川のほとりに出た。ベンチを見つけ、横になった。博物館で買ったランボーの詩集を一冊取りだし、適当にページを開いた。
 

「遠くへ行きたい、果てしなく遠くへ…」
 

その一文を読んだ時、自分の身を思わずにいられなかった。苦笑いが出た。「遠行希」というタイトルは、この時生まれた。

鶴巻育子コメント
Jam Photo Galleryでは約2年振りとなる銀城アトム写真展。パリ在住中に旅をしながら撮影した、オリジナルプリントを展示いたします。妻・康子さんから預かったストレージボックスを開けると、手書きのフランス語が書いてある台紙が入っていました。私は直ぐにそれをスマホで撮影し、フランスに住む幼馴染にメッセージと共にその画像を送り、正確なスペルと意味を聞くことにしました。ステートメントを読んでいたので、ランボーの詩の一節だとは想像がついていました。「j’ai toujours un espoir dans mon cœur, aller au loin , très loin」丁度彼女の娘が受けたフランス語の試験でランボーの詩が題材になったそうで、面白いタイミングだと思いました。直訳すると「私はいつも心の中に希望を抱いている。遠くへ、さらに遠くへ」と教えてくれました。「遠くへ、更に遠くへ」という部分は解釈に少なくとも2通りあり、物理的な意味、そして少し抽象的、哲学的な意味もある、と彼女のフランス人の夫から追記がありました。銀城氏が、旅をし、迷いながら街を歩き、そして出鱈目にシャッターを切った。ただただ共感を覚えました。旅をするのも、写真を撮る理由も人それぞれですが、少なくとも私の場合、旅をしたり写真を撮りたくなるのは、幸せな時よりもどちらかと言うとネガティブな気持ちの時です。しかしこの詩の直訳にあるように、いつも心のどこかに希望は抱いていないとやりきれない。そして、「写真は写ってしまう」という自分ではコントロールしきれないところが、私たちも銀城氏も写真に惹きつけられる理由なのだろうと思いました。

銀城アトム ぎんじょうあとむ

本名 銀城敏彦。1951年3月31日樺太生まれ。俳優業の後1980年より写真を始める。雑誌を主体にフリーカメラマンとして活動。1985年よりフランスに在住し作品制作に打ち込み1999年10月に帰国。2005年4月6日死去。享年54歳。

個展

1982年10月  『ヨーロッパの恋人たち』松屋デパート浅草
1988年10月  『パリっこ』松屋デパート浅草
1989年11月  『深影過 Ombres lintaines』M.J.C. Daniel Sorano de Vincennes
2004年 4月 『遠行希』アイデムフォトギャラリー シリウス
2007年 7月 『窓映・パリの夜』リコーイメージングスクエア銀座
2011年 9月 『巴里瞬間』ギャラリーコスモス
2016年 8月 『巴里好日』リコーイメージングスクエア銀座

2023年 6月 『窓映』Jam Photo Gallery
 

グループ展

1885年 7月 『子供達』7月の会 新宿オリンパスギャラリー

1988年 4月~1989年3月 Au Duc Des Lombards Paris (毎月展示替えによるマラソン写真展)

1889年 7月 『パリからの手紙』7月の会 新宿オリンパスギャラリー

1991年 7月 『パリからの手紙2』7月の会 新宿オリンパスギャラリー

2002年 6月 『郊外放浪』ルージュ フォトスペース光陽2 ビエンナーレ

1997年 5月 『ナンシー国際ビエンナーレ映像展 テーマ:街の現状』にて「窓映」が選出

コレクション機関

パリ市歴史図書館   『窓映』『パリの夜』『街頭スナップ』
フランス国立図書館『窓映』『遠行希』『イル・ド・フランス』
ナンシー市立ギャラリー ロベール・ドアノー『窓映』

6abb7198-5745-4bbd-8c3c-fefd54675b9e.jpg
写真展「息づかい」キービジュアル.jpeg

© 2025 Tatsuo Yamada

Past Exhibition

山田達男 写真展

息づかい 
2025年3月25日(火) ~ 2025年3月30日(日) ※12:00-18:00(日曜17:00迄) 

​​​​​

そこは人が立ち入るのを拒むような荒れた溶岩大地にあり、豊かな伏流水に恵まれ原始の森が広がっていた。真冬に強い風が吹き荒ぶ稜線では地表を這うように茂る樹木の合間から骸骨のような老木が顔を覗かせる。そんな人の手の入らぬ森に惹きつけられたのはなぜだろう。
 

静まりかえり水や風の音が聞こえるだけの空間に佇むと、自然が奏でるかすかな音とともに気配を感じることがある。その瞬間振り返ると何かの息づかいが聞こえ、張り詰めた中で徐々に際立つ気配を感じながら自分の感覚が研ぎ澄まされていく。

ある日、湿度の高い靄に包まれた森に突然薄日が差し込み、見上げると頭上の磐座とそれを囲む樹々が神々しく目に入ってきた。強風に倒れた大木は湾曲しながら光を求めて上に伸び、その幹を地表の苔が鮮やかに覆いつくした様子があたかも自然な光景で目に映った。溶岩台地では樹木が大きな岩にぐるりと根を回し、雨風に耐えながらずっとそこにあり続ける姿を捉えたくて、ぬかるむ藪の中をぐるぐる回りながらレンズを向けた。


人の手の入らぬ森は想像を超える長い時間をかけて今がある。そこでは地面を覆う落ち葉や朽ち苔むして土に還ろうとする倒木の上に幼木が芽を出し、周囲の植生や環境に強い影響を受けながらもそれぞれが均衡し命が繰り返してゆく姿がある。そして水を貯え呼吸し、二酸化炭素から酸素への循環を永々と続けてゆく。その息づかいは動物の肺呼吸のような動きもなく淡々としたものだが、その気配が私には確かに感じられる。

山田達男 やまだたつお

1956年東京都生まれ。現在千葉県佐倉市在住。早稲田大学卒業後株式会社ニチレイに42年間在籍、64歳で退社し現在は個人事業として経営コンサルタントと映像制作。写真撮影に本格的に取り組み始めたのは60歳を過ぎてから。国内・海外問わず森や大地など自然の様々な姿に畏敬を感じシャッターを切ることを大事にして作品制作に取組んでいる。2021年からGOTO AKI+池谷修一「写真の実践と研究」ワークショップに参加。アイスランドにはこれまで4回、約15,000kmをトヨタランドクルーザーで走り撮影を行ってきた。


個展
2023年11月「最果ての色 創られた形」キヤノンギャラリー銀座・大阪


グループ展
2023年 3月「写真の研究と実践II 第1回展」代官山AL
2024年 3月「写真の実践と研究 -第3期- ゼミナール展」代官山AL

DM表_2504.jpg

© 2025 Kenshi Daito

Past Exhibition

写真展 東京オルタナ写真部 #9「歴史/現前」
2025年4月1日(火) ~ 2025年4月6日(日) ※12:00-18:00(日曜17:00迄) 

​​​​​

写真とは何か、作品とは何か。
この問いは写真作品を制作する者に常に現れ続ける難問です。この問題を言葉で考えようとすると自分にとってかけがえのない意味が失われていき、逆に自分の意味をつかもうとするとかえって意味のあることは何も言えなくなってしまいます。このような、最も重要な意味の芯が目の前から逃げ去っていく状況を、思想や美術では「不在 absence」としてテーマ化してきました。

しかし私たちは、作品表現は自分にとってかけがえない意味であることを手放さないでいたいと考えます。すなわち表現の現場は「不在 absence」ではなく「現前 presence」であると改めて明言したいと思います。

 

とはいえ、写真は「それはかつてあった」ことを指し示すメディアです。また、「美術」や「作品」は長い歴史の中で形作られてきた制度であり、その大きな背景と無関係に作品制作をすることはできません。この意味で写真作品は本質的に過去にあるもの、つまり歴史的な存在であり、自分が個人的に経験するいま現在の意味とは対極に位置するものです。

 

写真作品が宿命的にもつ過去という性質と、表現がつかもうとする自分のいまの固有の意味。この両者は鋭く引き裂かれていて、ひとつに統合することはほとんど不可能のようにも思えます。今回、私たちのグループ展は『歴史/現前』という共通テーマで、この問いに向き合いたいと思います。

東京オルタナ写真部

オルタナティブ写真は、アナログ写真技法による新しい表現を目指すムーブメントです。私たち東京オルタナ写真部はワークショップ、読書会、批評会、グループ展を通してこの古くて新しい写真表現に取り組んでいます。

unnamed.jpg

© 2025 Shuhei Maeno

Current Exhibition

前野周平 写真展

『 流 ru 』

2025年4月15日(火) ~ 2025年4月20日(日) ※12:00-18:00(日曜17:00迄) 

​​​​​

私が子どもだった頃、母は海に連れて行ってくれた。

昼間の海は穏やかで、何もかもがゆっくりと流れていた。

母は夜の海にも何度か私を連れて行ってくれた。

そこは昼間の海と同じ場所とは思えないほど深く滑らかに黒い。

本質的に恐ろしいものが底に沈んでいるように感じた。

波打ち際にすら近づけない。

私は怖かった。

母はひとり、波打ち際へ進んでいく。

その後ろ姿はとても強く、そして遠かった。

*

母は歩けなくなった。

痛みも温度も存在しないものかのように、足の感覚がなくなってしまった。

*

ある夏の日、私は川にいた。

足を浸すと、とろみを帯びた水は私の足にやさしく絡みつき、

陽の光を受け水面は小さく輝いている。

目を閉じる。

目蓋の奥に届いた水面の瞬きは、徐々に私の視界を満たしていき、

足に感じる流れは、より細かく鮮明になっていく。

その場に留まっているのか、流されているのか、

私が流れを置いていっているのかわからなくなる。

ただ、静かな感覚に包まれるようだった。

ふと、あの黒い波打ち際に佇んでいる母の姿が浮かぶ。

あの時の流れの感触を私は知らない。

私はただ遠くからそれを眺めていた。

前野周平 まえのしゅうへい

1990年 鹿児島県生まれ
2012年 東放学園映画専門学校卒業
2012年 撮影部として、映画、ドラマ、CM製作に従事
2018年 フォトグラファーアシスタント
2021年 映像を中心に活動中

Sec2_53_後ろ前問題_ことの 2.jpeg

Next Exhibition

鶴巻育子 写真展

『 ALT 』

2025年5月13日(火) ~ 2025年5月25日(日) ※12:00-18:00(日曜17:00迄) 月曜休廊


【第33回林忠彦賞受賞記念】写真家・鶴巻育子が視覚障害者と関わりながら「見ること」について思考を巡らせるプロジェクト「ALT」。東京のキヤノンギャラリーSで開催された展覧会は大きな反響を呼び、第33回林忠彦賞を受賞しました。本展では「隣りにいる人」「※写真はイメージです」「見ることとは何か」の3部構成からなる同展覧会のうち、視覚障害者とのコミュニケーションに焦点を当てた「※写真はイメージです」のセクションを展示いたします。

​作家メッセージ
​目を使って仕事をする写真家の自分とは対極にある「見えない、見えづらい世界」を覗いて見たい。そんな好奇心から始まったプロジェクトの第二弾が「ALT」です。

人は情報の80~90%を視覚から得ていると言われています。取材当初、私はその情報を得ずに生きる視覚障害者の人々の苦労ばかりを想像していました。しかし個人差はあるものの晴眼者となんら変わりない彼らの生き方を目の当たりにし、また「視覚障害」と言っても個人個人異なった見え方で、簡単にカテゴライズできるものではないことを知りました。私は知らず知らずのうちに、先入観や偏見を抱いていた自分に気づきました。彼らと会い対話する時、言葉が最も重要なツールとなります。そこではミスコミュニケーションが生じることもあり、言葉でのやり取りにおける難しさを実感せざるを得ませんでした。しかし当然ですが、それは相手が晴眼者であっても起こり得るものです。私は他者との認識のズレに違和感を抱くより、まずは自分の知らない領域に一歩足を踏み入れてみることを優先しました。すると、私ひとりでは辿り着けなかった気づきやアイディアが浮かび、新しい世界が見えた気がしました。


約4年の間に多くの視覚障害者の人々と時間を共有した中で最も興味深かったのは、彼らが頻繁に「みる」という言葉を口にすることでした。私は改めて見ることの意味を考えるようになり、いかに自分の視野が狭いかを思い知る体験をしたのです。目で見ることが全てではない。感じることは見ること。見ることとは何か。

 

「視覚障害者に興味を持ってくれるのが嬉しい」「面白い形で自分たちの世界を表現してもらいたい」など彼らの言葉が支えとなり、この作品を完成することができました。

*ALTとは

alternateの略。代わりのもの、代替え、交互の、他の可能性、他の手段。X(旧Twitter)では「+ALT」ボタンは代替えテキストの略称で、画像の説明を示す用語として使われています。



写真集『 ALT 』
*Jam Booksにて販売中

巡回 大阪

2025年7月1日(火) 〜 7月13日(日) 11:00〜19:00 最終日18:00迄 月曜休廊

ギャラリーソラリス

〒542-0081 大阪市中央区南船場3-2-6 大阪農林会館B1F
06-6251-8108
http://solaris-g.com/

​​​​​​​​​​​​

鶴巻育子 つるまきいくこ

1972年東京生まれ。写真家。1997年の1年間渡英し語学を学ぶ。帰国後周囲の勧めで写真を学び始めた。カメラ雑誌の執筆や写真講師など幅広く活動する一方、2019年に東京・目黒に写真ギャラリー Jam Photo Gallery を開設し、著名写真家の企画展や若い写真家への場の提供、アマチュアの育成にも力を注いでいる。国内外のストリートスナップで作品を発表しながら、視覚障害者の人々を取材し「みること」をテーマとした作品にも取り組んでいる。主な個展は「芝生のイルカ」2022年/ふげん社、「PERFECT DAY」2020年/キヤノンギャラリー銀座・梅田、「3[サン]」2015年/表参道スパイラルガーデン など。主なグループ展に「icon CONTEMPORARY PHOTOGRAPHY II」2022年/AXIS Gallery やアルファロメオ企画展「La meccanica della emozioni」2017年/寺田倉庫 など。

19527600-e80a-4190-9ab5-8e0e6e38f4a4.jpg
2e7d3780-c0ee-4f74-b77a-75da70733a78.jpg
0dea7e84-19e2-48ba-9a57-104a603f4d35.jpg
c23b9712-9a49-45c5-abb3-aacb288bba6b.jpg
b730e069-85c1-4c2e-b262-00ebd1c2d2c9.jpg

© 2025 Kazuyuki Okajima

Upcoming Exhibition

岡嶋和幸 写真展

『 NO DOGS 』
2025年6月3日(火) ~ 2025年6月15日(日) ※12:00-18:00(日曜17:00迄) 月曜休廊

​​​​​

​この国を初めて旅したとき、"不毛な海岸地域"と形容される場所に偶然たどり着いた。丈の短い草に覆われたピート(泥炭)の平原と、大小たくさんの湖。これまで見たことのない地形が広がっていた。複雑な海岸線と点在する家々。地中から顔を出した無数の岩が入植を拒み、強烈な海風が吹き曝す。遠浅の海は、潮が引くと遙か彼方まで干上がる。その光景を目にしたとき、脳裏を過ったのは地震や津波のこと。いつかまた来たいと思ったが、ほかにも行きたい場所がありずっと後回しになっていた。数年後、ようやく訪れることができたが、帰国直後に震災が発生。その惨状とこの荒涼とした大地の記憶が重なり、恐怖心からその後は足が遠のいてしまった。あれから時が過ぎて怖いと思う気持ちは薄れ、野蛮で美しいこの景色をまた眺めてみたくなった。

岡嶋和幸 おかじまかずゆき

福岡県福岡市出身、千葉県御宿町在住。東京写真専門学校卒業。撮影スタジオ勤務、写真家助手を経てフリーランスとなる。セミナー講師やフォトコンテスト審査員など活動の範囲は多岐にわたる。写真集『ディングル』『風と土』ほか著書多数。写真展も数多く開催している。

bottom of page