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オルト
鶴巻育子写真集
1 隣にいる人
ポール・ストランドの「Blind Woman」、ソフィ・カルの「Blind」など、理由は違えど見えない世界に興味を抱く写真家は私だけではなさそうだ。約100年前に写真ジャーナリストのエライザ・シドモアは三味線を弾きながら熱唱する瞽女を撮影している。葛飾北斎が「盲人の川越」(題名ママ)を始め視覚障害者の肖像画を数多く描いているのは、視覚障害者の独特な所作と雰囲気に惹かれたからだと想像する。
彼らにはこの世界がどう見えているのか。そんな疑問から見えない世界への好奇心で始まった私と視覚障害者との関わりもかれこれ4年になる。取材を始めて間もなく知り合った安藤将太さんが「晴眼者と同じ世界にいながら、自分たちは隣の違う世界に生きている感じがする。独特な文化もある。」と語った。かえって私の「見えない見えづらい世界」への関心は強くなる一方だった。
このプロジェクトでは31名の視覚障害者がモデルとして協力してくれた。会うまでの段取りを進める中、私はメッセージに必ず「ご自宅にお迎えに行くことも可能です」と付け加えていた。私のために時間を割いてもらうのだから、できるだけ手を煩わせたくないという思いを示すためだった。しかしそれに反応する人は誰ひとりいなかった。ひとりで外出する人、または盲導犬と一緒だったり友人や家族の手を借りる人もいる。出かける手段はその人が決めることだ。彼らは皆このプロジェクトに賛同し一緒に楽しもうとしてくれていたにも関わらず、知らず知らずのうちに、私は「やってあげる」という感覚で彼らに接していたのである。
撮影場所は彼らに決めてもらった。好きな駅、行きつけの居酒屋、会社帰りによく立ち寄っていた公園など様々で、選んだ理由を聞くだけでもその人の人生を垣間見れたようで面白かった。撮影を始める前に2時間ほどかけて話を聞く。皆生まれた時からこれまであった出来事や心境を包み隠さず話してくれた。晴眼者から腫れ物に触るような態度を取られたり、彼らの社会的立場や障壁についてのエピソードには私も後ろめたさを感じずにはいられなかった。
中でもクライマーの濱ノ上文哉さんが話してくれたエピソードは強く印象に残っている。視覚障害者を対象としたスポーツイベントに参加した時、彼が意見を述べたことである晴眼者の男性から目つきが悪いだの生意気だのと目の敵にされたという。やってあげる立場とやってもらう立場、その関係を保ちたかったことが想像できる。イノセントな存在であることを彼らは求められてしまう。
「目が不自由なだけ、他は一緒」
「晴眼者が可哀想な目で私たちを見るうちは、対等にはなれない」
「障害者を美化する人が多い。晴眼者の本音、正直な反応を知りたい」
彼らと会話をする中で出てきた言葉だ。
写真に写るのは「隣の違う世界」にいながら私たちと同じ世界にいる人々である。
私は彼らにカメラのある方向を伝え、意識してレンズを見てもらうようお願いした。ファインダーを通して彼らと目を合わす。バイアスのない視線を私は向けられているだろうか。